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目次
富士宮と、わたし。

このまちを訪れた人、挑戦した人、離れていても関わりを続ける人。
住んでいなくても、このまちとつながっている。
富士宮に関わる人たちに、それぞれの「富士宮とのつながり」を聞きました。
富士宮と、わたし。#03

「離れてみたら、富士宮って意外といいじゃんって思った。」
富士宮で生まれ育ち、現在は御殿場市で働きながら暮らす勝又 花音さん。
大学を卒業するまで住む場所はずっと富士宮でしたが、中学・高校は静岡市へ、大学は三島方面へ通学。幼い頃から英語を学び、小学生、高校生のときにはカナダでのホームステイも経験しました。
振り返ってみると、富士宮に住みながらも、昔から自分の世界は富士宮の中だけではなかったといいます。
社会人になって初めて生活拠点そのものを御殿場へ移した今も、週末になると富士宮へ。
さらに最近では、市外でつながった趣味の仲間たちを富士宮へ呼び、自らイベントを開くようになりました。
ずっと住んでいた頃は「何もない」と思っていた地元。
外へ出たことで、今までとは少し違う富士宮が見えてきたといいます。
「何もないな」って、普通に思ってました(笑)
私は大学を卒業するまで、ずっと富士宮に住んでいました。
中学・高校は静岡市の学校に通っていたので、友達と遊ぶのも基本的には静岡市。
富士宮で遊ぶってなったら、友達の家に行くか、駅前のショッピングモールに行ってプリクラ撮るか(笑)。
だから当時は普通に、「富士宮って何もないな」って思ってました。
でも、嫌いだったわけじゃないんですよね。
うちは家が自営業だったのもあるし、父がお祭りに関わっていたこともあって、小さい頃から地域の人との距離が近かったんです。
私はその人のことを知らないのに、「花音ちゃん、大きくなったね」って声をかけられることもあって。
「この人誰なんだろう」って思ってましたけど(笑)。
学校だと基本的には同級生とか先輩、後輩じゃないですか。
でも地元にいると、大人も子どもも関係なく同じコミュニティの中にいる感じがあったんですよね。
もちろん、どこに行っても誰かに知られているみたいで、「めんどくさいな」って思うこともありました。
でも、嫌いじゃない。
めんどくさい。でも、なんだかんだ嫌いじゃない。
たぶん、それが私にとっての富士宮だったんだと思います。

富士宮に住んでいた。でも、世界はずっと外にもあった。
振り返ってみると、私はずっと富士宮に住んでいたけれど、生活の全部が富士宮の中にあったわけではなかったんですよね。
中学・高校は静岡市に通っていたし、大学も三島方面。
住んでいる場所は富士宮だけど、学校に行けば違うまちの友達がいて、遊ぶ場所も富士宮の外にある。
それが自分にとっては普通でした。

もっと遡ると、3歳くらいからずっと英会話を習っていました。
先生がカナダの方だったこともあって、小学5年生のときには初めてカナダへホームステイに行きました。
現地に着いたのは夜中。
英会話の先生にホストファミリーの家まで連れていってもらって、「じゃあ、Good luck!」って(笑)。
「え、今からこの知らない人の家で寝るの!?」って、こどもながらに結構衝撃でした。
当時は英語も、聞くことは多少できても、文法なんてまだほとんど分からない。知っている単語を並べて話すくらいでした。
次の日の朝も、「パンに何をつける?」って聞かれていることすら分からなくて(笑)。
そうしたらホストファミリーが冷蔵庫から一個ずつ出して、
「シロップ?」
「Yes!」
みたいに、私がYESかNOで答えられるようにしてくれたんです。
そのあと、一つ年上の女の子に「トランポリンやる?」って誘ってもらって、広い庭で一緒に遊んでいたら、もう一気に仲良くなりました。
言葉が全部分からなくても、一緒に遊んだら仲良くなれる。
今思えば、そういう経験をかなり小さい頃からしていたんですよね。

「伝わらない」ことまで、楽しかった。
高校2年生の夏には、今度は一人でカナダのプリンス・エドワード島へ1か月間留学しました。
学校にも留学制度はあったんですけど、私は吹奏楽部に入っていてコンクールもあったので、長期間は難しくて。
でも海外には行きたかったので、「だったら一人で行こう」って。
飛行機から一人で行きました。
今考えると、17歳でよく行ったなと思います(笑)。
ホームステイ先には韓国やブラジルから来た子がいて、ホストマザーはロシア出身。語学学校にもいろいろな国の人がいました。
週末には、それぞれの国の料理を作ったり、言葉を教え合ったり。
英語を勉強しに行ったはずなんですけど、本当に毎日が文化交流みたいでした。
面白かったのは、言葉が伝わらないことすら楽しかったこと。
言いたいことが英語で出てこなくて、
「うーん……」って考えていると,
相手も、「こういうこと?」って、いろいろな言葉に言い換えてくれる。
それで、「あ、それ!それが言いたかった!」ってなった瞬間がすごく嬉しくて。
伝わらなくて一緒に考えている時間も楽しいし、伝わった瞬間も楽しい。
帰る頃には、もっといたいと思っていました。
高校生でカナダへ行ったときには、小学5年生のときにお世話になったホストファミリーとも7年ぶりに再会できました。
今でも毎年、誕生日になるとFacebookでメッセージを送ってくれます。
日本からものすごく離れた場所なのに、一度できた縁がずっと続いている。
今振り返ると、私は昔から、富士宮に住みながら、富士宮の外にもいくつものつながりを持っていたんだと思います。
静岡市へ通ったことも、カナダへ行ったことも、当時は「外の世界を見よう」と意識していたわけではなくて。
それが自分にとって普通だった。
富士宮で育った。でも、自分の世界は富士宮だけじゃなかった。
今考えると、その感覚が、今の暮らし方にもつながっているのかもしれません。

22歳。初めて「帰る家」も富士宮の外になった。
大学を卒業して就職するとき、一度は一人暮らしをしてみたいと思って、御殿場で暮らし始めました。
大学に行くと一人暮らしをしている友達も多かったし、
「このタイミングで一回出てみないと、たぶんずっと実家にいるな」って(笑)。
もっと遠い地域も考えていたんですけど、最終的には車で富士宮へ帰ってこられる御殿場にしました。
それまでも学校や友達は富士宮の外にいたけれど、帰る家はずっと富士宮だった。
だから御殿場で暮らし始めたときが、初めて本当に「富士宮を離れた」感覚だったのかもしれません。
最初は本当に大変でした。
社会人になるのも初めて。
仕事も初めて。
一人暮らしも初めて。
人間関係も全部ゼロから。
仕事に行って、まだ何もできないのに、帰ってきたらもうクタクタ。
夜8時には布団に入ってました(笑)。
一方で、一人暮らしは自由で楽しいです。
帰ってきて好きなだけゲームをやって、ご飯を何時に食べても誰にも何も言われない(笑)。
でも、一人でご飯を食べるのが寂しくて、母とビデオ通話をつなぎながら食べていたこともありました。
自由だけど、ちょっと寂しい。
最初はそんな感じでした。
今は、御殿場での生活もちゃんと好き。
生活に慣れるまで、半年くらいはかかったと思います。
少しずつ仕事に行くこと自体にも慣れて、同期とご飯に行くようになって。
最初は「余裕ができたから」というより、「職場では話せないことを話そう」みたいな感じでしたけど(笑)。
でも、そうやって同期と話したり、職場で知り合った人からまた別の人につながったりして、今は御殿場にも自分のコミュニティが少しずつできています。
だから、今の御殿場での生活は結構気に入っています。
仕事があって、向こうにも会いたい人がいて、一人暮らしだから自分の時間もある。
適度に自由で、ちゃんと自分の生活がある。
だから、御殿場が嫌で毎週富士宮に帰っているわけじゃないんですよね。
御殿場での暮らしも好き。
そのうえで、富士宮にも帰りたい。
今はその両方がある感じです。

「あと2日で帰れる」が、仕事のモチベーション。
それでも、週末になるとかなりの頻度で富士宮へ帰っています(笑)。
一番の理由は犬です。うちは「一人一犬」みたいな感じなので(笑)。
「犬が寂しがるから帰らなきゃ」って言っていますけど、たぶん私が寂しいんだと思います。
土日のどちらかに御殿場で予定があって、「今週は帰れないかな」ってなっても、「いや、日曜日だけでも帰ろうかな」って思う。

私はずっと、家に帰れば誰かがいる生活の中で育ってきたから、一人で何もしない休日を過ごすのがあんまり得意じゃないんですよね。
富士宮に帰れば、一日家から出なくても誰かと話す。
家族がいて、犬がいて。
それで十分です。
仕事をしていて、水曜日くらいになると、「あと2日頑張れば帰れる」って勝手にカウントダウンが始まります(笑)。
富士宮で週末を過ごすと、「よし、また仕事頑張ろう」って思える。
今は、富士宮でエネルギーを充電して、御殿場で頑張るみたいな生活になっています。

今度は見る側じゃなくて、やる側で
私には、中学生くらいの頃から続けている趣味があります。
最初のきっかけは、友達と清水で開かれていた大きなイベントを見に行ったことでした。
「うわ、すごい」って。
それで、「今度は見る側じゃなくて、やる側で参加してみたいね」って友達と話したのを覚えています。
結局、その子とは一緒にはやらなかったんですけど(笑)。
たまたま別の同級生にも同じように興味がある子がいて、「じゃあ、一緒に行ってみよう」って。
そこから自分も参加するようになりました。
最初はやっぱり怖さもありました。
でも当時は中高生だったので、周りには年上のお姉さんたちがいて。
今振り返ると、私たちが何かに巻き込まれたり、危ない目に遭ったりしないように、すごく気を配ってくれていたんだと思います。
その頃の私は、そんなこと全然考えてなくて。
好きなことをやって、いろいろな人に会って。
ただ純粋に、楽しませてもらっていたんですよね。

学校でも職場でもない、「好き」でつながった人たち。
その趣味を続けているうちに、いろいろな場所に友達ができました。
静岡、愛知、東京。
同い年だけじゃなくて、年上の人もいれば、年下の子もいます。
面白いのが、本名も知らないし、出身地も詳しく知らない人もいること(笑)。
SNSで知り合って、実際に会って、一緒に趣味を楽しむ。
学校でも職場でもないけれど、普通の友達以上に仲が良かったりする。
そういうコミュニティが、自分の中ではすごく大きいです。
「今週末はこれがあるから仕事頑張ろう」って思えることもあるし。
考えてみると、カナダに行ったときと少し似ているのかもしれません。
最初から相手のことを全部知っているわけじゃなくても、一緒に何かを楽しんだら人とつながれる。
昔から、そういうことにあまり抵抗がなかったのかもしれないです。
気づいたら、今度は私が「楽しませる側」になっていた。
でも、大人になって少し感覚が変わりました。
昔は周りのお姉さんたちに守ってもらって、私はただ楽しんでいればよかった。
でも今は、自分も成人して、コミュニティには自分より年下の子たちもいます。
そうすると、「あれ、今度は私があの頃のお姉さんたちの立場なんだ」って思うようになったんです。
昔みたいに、何も考えずに手放しで楽しむだけじゃなくて。
年下の子がいたら気にかけるし、みんなが安心して楽しめるようにしたい。
ずっと楽しませてもらってきたからこそ、今度は自分が誰かを楽しませる側になってもいいのかなって思うようになりました。
じゃあ、自分の地元でやってみよう。
そこで最近、自分の趣味の仲間たちを富士宮に呼んで、初めてイベントをやりました。
イベントを運営すること自体が初めて。
しかも今は御殿場に住んでいるので、今は住んでいない自分の地元でイベントを開くという、ちょっと不思議な挑戦でした。
正直、「本当にできるのかな」って、かなり不安でした。
でも実際にやってみたら、みんなが協力してくれて、自分自身もすごく楽しかったです。
そしてイベントをやったことで、思っていなかったことにも気づきました。
「あれ、富士宮、まだ全然いけるじゃん」って(笑)。
外の友達と歩いたら、地元が違って見えた。
中高生の頃は、「遊ぶなら静岡でしょ」って思っていました。
でもイベントという目的で、外から来た友達と一緒に富士宮を歩いてみると、今までとは見る場所も、楽しみ方も違ったんです。
「ここ、こういう使い方できるんだ」とか、
「意外と面白いじゃん」とか。
ずっと地元にいたときには気づかなかった富士宮の可能性を、外の友達を連れてきたことで、逆に自分が教えてもらった感じでした。
しかも、イベントに来てくれた友達のほとんどは、富士宮に来るのが初めて。
その子たちが、
「富士宮いいね」
「また来たい」
って言ってくれたのが、すごく嬉しかったです。
自分ではずっと「何もない」と思っていた場所を、外の人が楽しんでくれている。
そうすると、「え、私の地元、意外といいじゃん」って(笑)。
ちょっと誇らしくなりました。
「めっちゃかっけーっすね!」って、知らない子が声をかけてくれた。
イベントの日、もう一つ印象に残ったことがあります。
私たちの趣味って、ちょっと特殊なので、街中で活動していると場所によってはいろいろな目で見られることもあります。
でも富士宮では、思っていたよりずっと自然に受け入れてもらえました。
「なんかやってるな」
「楽しそうだな」
くらいの感じで。
通りかかった学生が、
「めっちゃかっけーっすね!」
「頑張ってください!」
って声をかけてくれたこともありました。
冷やかしじゃなくて、本当に純粋に「すげー!」って。
思っていても、普通は知らない人にわざわざ言わないじゃないですか(笑)。
それをちゃんと言葉にして伝えてくれる。
そのとき、「あ、富士宮ってこういうまちだったんだ」って思いました。
ずっと住んでいた頃には気づかなかったことでした。

今度は、私が「富士宮へ行く理由」になれたら。
これからも、無理のない範囲で富士宮で何かできたらいいなと思っています。
別に大きなコミュニティをつくりたいわけではないし、ものすごいイベントをやりたいわけでもありません。
私自身が楽しくて、周りの人も楽しい。
それくらいでいい。
でも、自分が中学生の頃に誰かに楽しませてもらったように、今度は自分が、
「これ面白そうだから、一緒にやろうよ」
って言える人になれたらいいなと思っています。
それを自分の地元でできたら、もっと面白い。
私が何かやることで、「じゃあ今度、富士宮行こうよ」って誰かが来てくれる。
その人が富士宮を気に入って、「次は友達も連れてきていい?」ってなって。
そうやって少しずつ広がっていったら嬉しいです。
友達の中には、富士宮やきそばを気に入って、富士宮に来るたびにソースを何本も買って帰る子もいるんですよ(笑)。
ソース3本、塩2本、みたいな(笑)。
そういうのも、地元の人間としてはちょっと嬉しい。
「富士宮好きだよ」
って言われると、
「でしょ?」
って、ちょっと思います(笑)。
御殿場にも、富士宮にも、自分の居場所がある。
今の私は、御殿場での生活も好きです。
仕事があって、向こうにも人とのつながりができて、自分の時間もある。
だから、「今すぐに富士宮へ戻りたい」という感じではないんです。
でも、富士宮も自分の生活から切り離せない。
週末になれば帰ってきて、家族や犬と過ごして。
そこからまた趣味でいろいろな場所へ行って。
ときには外の友達を富士宮へ連れてきて、一緒に遊ぶ。
ずっと富士宮にいた頃は「何もない」と思っていたのに、一度外に出てみたら、
「意外といいじゃん」
って思えるようになりました。
考えてみれば、私は昔から一つの場所だけに自分の世界をつくるタイプじゃなかったんだと思います。
富士宮で暮らしながら静岡市へ通って、カナダへ行って。
今は御殿場で暮らしながら、週末は富士宮へ帰ってきて、静岡や愛知、東京にも会いたい人がいる。
遠く離れたカナダにも、今もつながっている人がいる。
居場所って、一つじゃなくていいんですよね。
御殿場での今の暮らしも大切にしたい。
でも、富士宮にも帰ってきたい。
そして、自分が外でつくったつながりを、今度は富士宮にも少しずつ持ってこられたらいい。
だから今は、富士宮に「戻る」というより、
これからも、自分らしい距離で富士宮とずっとつながっていたい。
そんな感じなのかもしれません。

富士宮と、わたし。#02

変わったことをやろうとしても、突っぱねられない。
大学を休学し、自分の得意なプログラミングに挑戦する時間をつくった河島さん。
その期間中、声をかけられたことをきっかけに、ほとんど縁のなかった富士宮で地域おこし協力隊インターンとして活動しました。
AIやプログラミングをテーマにしたイベントの開催、学校での授業、ラジオ出演、地域のお祭りへの参加。
活動を重ねる中で河島さんが感じたのは、富士宮には「何かやってみたい」と言った人を受け入れ、さらに別の人へとつないでくれる人たちがいるということでした。
そしてインターンが終わった今も、富士宮で出会った高校生との関係は続いています。
河島さんにとって富士宮とは、どんな場所だったのでしょうか。
富士宮市に関わったきっかけ
「せっかく挑戦できる時間があるなら、やってみようと思った。」
富士宮に来たきっかけは、地域おこし協力隊インターンの話を紹介してもらったことでした。
もともと大学を1年間休学することを決めていて、自分の得意なプログラミングにしっかり取り組んでみたいと思っていたんです。
それに加えて、あるゲームの世界大会への挑戦もありました。
せっかく時間ができるなら、1年間いろいろなことに挑戦してみてもいいんじゃないか。そんなタイミングで富士宮の話をもらって、「それならやってみよう」と思いました。
富士宮には友達もいませんでしたし、ほとんど知らない場所でした。
でも、そこに対する抵抗はあまりなかったですね。
むしろ来てみて感じたのは、富士宮には少し変わったことをしようとしている人を受け入れる雰囲気があるということでした。
何かを提案しても、最初から「無理だよ」と突っぱねられることが少ない。
たとえその人自身が協力できなかったとしても、
「自分は難しいけど、この人なら力になってくれるかもしれない」
と、別の人につないでくれる。
そういう人と人との連携が強い地域だなと感じました。

富士宮市に来て挑戦したこと
AIやプログラミングを、地域の新しい選択肢に。
インターンでは、プログラミングを通じて地域の人たちの可能性を広げることを一つのテーマにして活動しました。
その中でも大きかったのが、AIを活用した開発を体験するハッカソンを開催したことです。
もともと、地域ではITやプログラミングに触れる機会がまだ少ないのではないか、という仮説がありました。
それなら、まず若い世代にAIを使ったものづくりの面白さを知ってもらおうと考えたんです。
実際にやってみると、その課題感自体は間違っていなかったと思います。

ただ、予想していなかった嬉しい反応もありました。
最初は子どもや若者を主な対象として考えていたのですが、保護者の方からも、
「大人向けにもやってほしい」
「企業研修として使えるんじゃないか」
といった声が上がったんです。
自分では対象を若者に絞っていましたが、実際にはもっと広い世代が興味を持っていた。
そこは、自分の想像以上だったところですね。
また、イベントの参加者を集めるために、中学校や高校で授業をさせてもらったり、ラジオにも出演しました。
大学生活だけでは、学校で授業をしたり、地域のラジオに出たりする機会はなかなかありません。
特にラジオは面白かったです。
パーソナリティの方が、こちらが話しやすくなるように自然に言葉を引き出してくれる。
自分が話しているはずなのに、相手の話し方によってどんどん気持ちよく話せるようになる。
「話を引き出すプロってすごいな」と思いました。
そういう一つ一つの経験も、富士宮に来たからこそできたことでした。

富士宮市で楽しかったこと、良かったこと
一番うれしかったのは、イベントの“その後”があったこと。
一番うれしかったのは、ハッカソンに参加してくれた子どもたちの、その後の変化を聞けたことです。
参加してくれた一人の子は、もともと少し内向的な性格だったそうなんです。
でもイベントをきっかけに、自分からいろいろなものをつくるようになって、以前より明るくなったとお父さんから聞きました。
もう一人の参加者も、イベントが終わったあとに自分でいろいろなことへ挑戦するようになっていた。
イベントを一回開催して終わりではなく、その人の次の行動につながっていた。
それはすごくうれしかったですね。
特に、富士宮で出会った高校生とは、今でも関係が続いています。
一緒に映画を観に行ったこともあります(笑)。
地域に来て活動した結果、単なる「参加者」ではなく、普通に遊びに行けるような友達ができた。
それは、自分にとってかなり大きなことでした。
今では、自分が持っている人脈を紹介したり、彼がこれからいろいろな世界に出ていくためのきっかけをつくったりもしています。
富士宮に来て良かったことを考えると、結局、一番残っているのは人との関係なんだと思います。

「やってみたい」に、すぐ応えてくれる人がいた。
富士宮で特に印象に残っている人の一人が、ある市内中学校の先生です。
僕がハッカソンをやりたいと話したときも、すぐに協力してくれました。
単純に場所を貸すとか、参加者を紹介するとかだけではなくて、
「それなら、こちらもこういう形で協力できるよ」
と、お互いにメリットがある形をすぐに考えてくれたんです。
自分のやりたいことを一方的に応援するというより、一緒にどう成立させるかを考えてくれる。
そういう関係性がすごくありがたかったです。

富士宮では、自分が何かをやりたいと言ったときに、
「それ面白そうじゃん」
と、一度受け止めてくれる人が多かった。
それが、挑戦しやすさにつながっていたと思います。
地域のお祭りに入ってみて、「こんなに盛り上がるんだ」と思った。
インターン期間中には、「富士山御神火まつり」にも参加しました。
人手が足りないということで、地域の人たちと一緒に神輿を担ぐ側として関わったんです。
そこで驚いたのが、想像以上の盛り上がりでした。


普段の商店街を見ているだけでは分からないくらい、多くの人が集まっていて、
「富士宮って、こんなに人が集まるんだ」
と思いました。
一参加者として普通に楽しかったですし、「これだけ盛り上がれるポテンシャルがあるなら、ほかの場面でももっとできるんじゃないか」とも感じました。
富士宮は静かな地域というだけではなく、きっかけさえあれば、みんなで一気に盛り上がれる場所なんだと思います。
自分の住んでいるところと富士宮市のギャップ
「このままでいい」より、「何かやってみよう」が多いまち。
出身は岡山で、今は京都の大学に通っています。
岡山と比べて一番違うと感じたのは、変化に対する姿勢です。
僕の地元は、良い意味ですごく安定しているんです。
食事にも困らないし、仕事もある。娯楽もそれなりにある。
生活する上で必要なものが一通り揃っているからこそ、
「このままでいいかな」
と思う人も多い印象があります。
もちろん、それは悪いことではありません。
でも僕自身は、そこに少し物足りなさを感じて京都へ出ました。
それと比べると、富士宮では、
「何かやってみよう」
「こう変えたら面白いんじゃないか」
と、前に進もうとする人が多いと感じました。
しかも、そういう人を周りも比較的受け入れてくれる。
僕にとっては、その空気がすごく心地よかったですね。

これからの富士宮市との関わり方
富士宮の若者に、“学校の外のチャンス”を増やしたい。
これから富士宮にあったらいいと思うのは、中学生や高校生が学校の外でつながれるコミュニティです。
富士宮にも、何かに挑戦したいと思っている若者はたくさんいると思います。
ただ、学校の中だけで生活していると、自分のところに入ってくる情報やチャンスはどうしても限られてしまいます。
例えば、
「こんなイベントがあるよ」
「こういう人に会ってみない?」
「こんな挑戦をしてみない?」
という話が、学校外の人とのつながりから突然入ってくることってあるじゃないですか。
そういう偶然のチャンスが生まれる場所があるといいなと思います。
ただ人を集めるだけではなく、そこで実際に挑戦できる機会までつながっていく。
富士宮には、挑戦している大人や面白い人がたくさんいるので、その人たちと若者がつながれば、いろいろな可能性が生まれるはずです。
まずは、一人との関係を大切にしたい。
とはいえ、いきなり「富士宮全体をこうしたい」と大きなことを考えているわけではありません。
今、自分の中で一つ決めていることがあります。
それは、富士宮で出会った高校生が、これから自分のやりたいことに挑戦し、いろいろな世界へ出ていけるように応援することです。
自分が持っている人脈を紹介したり、面白い機会があればつないだりする。
まずは目の前の一人に対して、自分にできることを続けていきたい。
その関係から、また別の人につながっていくかもしれません。
富士宮で自分自身がそうしてもらったように、今度は僕が、誰かに新しい機会を渡す側になれたらいいなと思っています。

富士宮と、わたし。#01

「何かをしたい人」と「何かが足りない地域」が出会う場所。
地域おこし協力隊インターンをきっかけに富士宮と関わった木村さん
大学生活を送る京都から、ほとんど知らなかった富士宮へ。
地域おこし協力隊インターンとして3か月間、地域のさまざまな人と出会い、地域での仕事や暮らしを経験した木村さん。
「地方で何かをやってみたい」という漠然とした興味から始まった富士宮との関わりは、実際の地域に飛び込むことで、「自分の頭の中で考えること」と「現場で起きていること」の違いを知る経験になったといいます。
富士宮で何を見て、誰と出会い、これからどんな関わりをつくっていきたいのか。話を聞きました。

富士宮市に関わったきっかけ
「知らない場所だからこそ、行ってみたかった」
もともと群馬県出身で、現在は京都の大学に通っています。地方で生まれたこともあって、以前から地方創生や地域での取組には興味がありました。
ただ、「絶対にこれがやりたい」というものがあったわけではありません。
富士宮に来るきっかけになったのも、大学の同級生から地域おこし協力隊インターンの話を聞いて、「そんな経験ができるなら、やってみようかな」と思ったことでした。
当時は富士宮のことをほとんど知らなかったですし、知り合いもほぼいませんでした。でも、むしろそれが良かったのかもしれません。
仲の良い人がいる場所なら、何となく乗り切れてしまう。でも、全く知らない場所や人の中に飛び込むからこそ、自分にとって新しい経験になる。
「知らない場所だから怖い」というより、「知らない場所だから面白そう」という感覚の方が強かったですね。
富士宮市に来てやってみたこと
頭の中の「こうすればいい」を、現場で確かめる3か月
富士宮では、農家さんやニジマスの養殖に携わる方、牧場をはじめとした地域の事業者など、本当にいろいろな人に会わせてもらいました。
インターネットで検索するだけでは分からないことを、実際に現場へ行って、そこで働く人から直接聞く。そうした「一次情報に触れる経験」ができたことは大きかったです。
特に印象に残っているのが、DXやシステム導入について考えたときのことです。
最初は、「このシステムを導入すれば、もっと効率的になるのではないか」と考えていました。
でも、実際に地域の事業者を訪ねてみると、紙とペンを中心に仕事をしていたり、そもそもパソコンを日常的に使っていなかったりする。
そこで初めて、「システムを入れること=その人にとっての正解ではない」と気づきました。
学生として外から考えていた「こうすればいい」という仮説と、現場にある現実は全然違う。その違いを自分の目で確かめられたことは、大きな学びになりました。
また、地域の中学校で授業をしたり、「みやこBase」の立ち上げに関わったりと、自分たちが考えたことを実際の地域で形にしていく経験もできました。
アイデアを考えるだけではなく、実際に誰かと一緒に動いて、形にするところまで経験できた。
それは、大学の中だけではなかなか得られない経験だったと思います。

富士宮市で楽しかったこと、良かったこと
一番の魅力は、やっぱり「人」
富士宮に来て一番良かったのは、いろいろな人と出会えたことです。
普通の大学生が突然地域を訪ねて、「話を聞かせてください」と言っても、なかなか難しいですよね。
でも、地域おこし協力隊インターンという立場があったことで、一人の人から別の人へ、さらにその人から次の人へと紹介してもらい、地域の中にどんどんつながりができていきました。
これから何をするにしても、人とのつながりは大切だと思っています。そのつながりを学生のうちにつくれたことは、とても大きかったです。
暮らしそのものも楽しかったですね。同じように「何かをやってみたい」と思っている人たちが周りにいて、みんなで過ごす。感覚としては、3か月間ずっと修学旅行や合宿をしているような感じ(笑)。


でも、ただ楽しいだけではありませんでした。
富士宮には、自分で何かを始めたり、誰かの挑戦を応援したりする人が多いと感じました。
僕自身、最初に来たときからいろいろな人を紹介してもらって、会った人たちも「この人に何ができるだろう」「どうしたら手助けできるだろう」と考えてくれた。
そういう文化があるから、何かをやってみたい人にとって、挑戦しやすいんだと思います。
僕は、地方には「何かをしたい人」と「何かが足りていない地域」が出会える可能性があると思っています。
やってみたいことがある人と、その力を必要としている人がいる。その二つがうまく出会えば、自分一人ではできなかったことを等身大のところから始められる。
富士宮は、それが起こりやすい場所なんじゃないかなと思います。

自分の住んでいるところと富士宮市のギャップ
面白い大人はたくさんいる。でも、同世代と出会う場所が少ない
京都と比べて感じた大きな違いは、若者同士がつながるコミュニティがあまり見えないことでした。
京都には、大学という場所だけではなく、企業が主催するイベントなど、大学の枠を越えて学生が集まる機会があります。
「何かやってみたい」「新しいことを始めたい」という学生がそこに集まって、大学が違ってもつながっていく。
僕自身、京都でできた大学外のつながりの多くは、そうした場所から生まれています。
一方、富士宮での3か月間を振り返ると、地域で面白い活動をしている大人には本当にたくさん会いましたが、富士宮に住む同世代の若者と出会う機会は、ほとんどありませんでした。
もちろん、経験のある大人たちと関われたからこそ成長できた部分も大きいので、これは悪いことだけではありません。
ただ、「何かやってみたい」と思っている若者同士が、所属に関係なく出会える場所があったら、富士宮はもっと面白くなるんじゃないかと思います。

これからの富士宮市との関わり方
「ちょっと変で、面白い若者」が出会えるコミュニティをつくりたい
これから富士宮でやってみたいのは、若者のコミュニティづくりです。
これは、自分が富士宮で生活しているときに「こんな場所があったらいいな」と感じたからこそ、興味があります。
何かをやってみたい人、行動している人、ちょっと変わっているけれど面白い人。
そういう若者が自然と集まって、そこに地域の面白い大人たちも関わっていく。
そこで誰かと出会ったことをきっかけに、「じゃあ、こんなことやってみようよ」と次の活動が生まれていく。
そんな場所ができたら面白いと思っています。
一方で、京都から富士宮へ継続的に通うには、距離も交通費もかかります。ただ「また遊びに来て」と言われるだけでは、関わり続けるのは難しいのも現実です。
だからこそ、「この人に会いたい」「ここに来たら面白い経験ができる」「自分の将来につながる何かがある」と思えることが大切なんだと思います。
富士宮には、すでに面白いことをしている人がたくさんいます。
そういう人たちと若者が出会い、また新しい人を呼び、その人が次の挑戦を始める。
そんなつながりをつくることが、これからの自分なりの富士宮との関わり方になったらいいですね。

