神祖(かんぞ)山ノ神古墳
2011年05月31日掲載
あまり知られていない神祖山ノ神古墳について紹介します。
富士宮市では、市の南部を中心に古墳が点在しています。そのほとんどは全長20m以下の円墳で、古墳時代後期にあたる6世紀以降に築かれたものです(図1)。その中で今回はあまり知られていない神祖山ノ神古墳について紹介します。
この古墳は小泉字神祖の畑の中にあります(写真1)。墳丘上に山の神が祀られていることから古墳の名前がつけられました(写真2)。立地は中沢川沿いに築かれており、近くには市指定史跡の大室古墳があります。他に周辺では2基の古墳が確認されていますが、これらを含め、かつてはもっとたくさんの古墳が形成されていたと思われ、(写真3)。大部分の古墳が後世の開発によって消滅したものと考えられています。
古墳は、基底の径で7~8m、高さ1.5mほどの円墳と推定され、「石室」に使われた石が露頭しています。現状は墳丘の南側で東西に横断して裾部分が削られていますが、保存状態は良好です(写真4)。遺物も採集されています。
遺物は、須恵器(すえき)と呼ばれる朝鮮半島伝来の技法で作られた焼き物が採集されています(写真5)。灰色、青灰色をした破片ですが、復元すると大きな水甕になります。観察してみますと内面外面に「タタキ」とよばれる調整がほどこされており、内面は同心円状のもの、外面は延べ板状のものを当てていることがわかります。これは文様でなく、器の粘土素地内にたまった空気を抜くためで、この調整作業をしないと窯で焼きあげる時、空気の残った部分が高温で爆発してしまいます。さて、水甕は内面の同心円状の「タタキ」を残している特徴から時期が6世紀以降と考えられ、古墳の時期もこのあたりに求められるでしょう。
石室の構造は未調査で不明ですが、周辺で調査されている古墳(写真3など)から、
- 横穴式石室である
- 石室の幅が狭く奥行きがある
- 遺体を葬る部屋(玄室)と通路部分(羨道)の境目が階段状になっている
の3点の構造になりそうです。
神祖山ノ神古墳は富士宮市歩く博物館Iコース富士根南地区「泉と古墳をたずねるコース」で紹介されています。大室古墳と一緒に見学に訪れるのもいいでしょう。
(嘱託学芸員 田中城久)
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