ここからサイトの主なメニューです
ここからページの本文です

「史跡富士山 村山大日堂」展

2018年02月20日掲載

大日堂の歴史や修理工事の内容を紹介します。


 村山の大日堂は、村山浅間神社とともに富士山信仰の拠点「興法寺」の堂社のひとつでした。
現在、富士宮市では、世界遺産に登録された文化財の整備事業を進めており、大日堂では、平成26年度に保存修理工事を実施しました。

村山浅間神社(手前)と大日堂(奥) 村山浅間神社(手前)と大日堂(奥)

水垢離場跡(富士登山者が水を浴びて身を清めた場所) 水垢離場跡(富士登山者が水を浴びて身を清めた場所)

1.興法寺の歴史

興法寺の成立と展開

大日如来坐像(正嘉3年銘)大日如来坐像(正嘉3年銘)
村山浅間神社・冨士山興法寺大日堂所蔵

富士山は古くから信仰の対象とされてきた。12世紀には末代という僧が登山し、山頂に「大日寺」を建立したという。やがて、末代の流れをくむ宗教者が村山に集まり活動するようになり、興法寺が形づくられたと考えられる。興法寺の詳しい成立時期は不明だが、村山には正嘉3年(1259)の銘がある大日如来坐像が伝わっている。
戦国時代になると、宗教者だけでなく、一般の人々も富士登山を行うようになり、村山には、道者(富士登山者)の世話をする坊が多数成立した。村山は、駿河国を支配する戦国大名今川氏の保護を受け、多くの道者でにぎわった。

村山三坊と近世近代の村山

江戸時代になると、数多くあった宿坊は整理され、「村山三坊」と呼ばれる池西坊・辻ノ坊・大鏡坊が興法寺と集落を管理するようになった。また、村山三坊は、富士山中の登山道や山頂の大日堂、山頂の一部を管理・支配した。
村山三坊に所属する修験者は「法印」と呼ばれ、富士山中に入って修行を行い、富士山東麓地域等を巡って加持祈祷や配札等の宗教活動を行った。また、彼らは主に富士川以西の地域に富士山信仰を広め、道者の登山の世話などを行った。登山時期になると、村山は西国から来た数多くの道者でにぎわった。
明治時代になると、神仏分離令・廃仏毀釈運動により、村山三坊は還俗し、興法寺は廃されて浅間神社と大日堂に分離された。また、村山を経ずに山頂に至る新たな登山道が開削されたことにより、村山は次第に登山口としての機能を失っていった。

「駿河記」に描かれた村山 「駿河記」に描かれた村山

浅間神社と大日堂を分離する柵 浅間神社と大日堂を分離する柵

2.資料に見る大日堂

大日堂の概要

大日堂は、大日如来を祀る興法寺の中心施設のひとつであった。大日如来は、神仏習合の考え方により、富士山の神(浅間大菩薩)の本地(本来の姿)とされた。
大日堂は興法寺の成立当初から存在していたと推定される。記録によると、江戸時代、大日堂を含めた興法寺の諸建物は地震・台風等の災害により度々破損・倒壊し、修理・造営が行われていた。中でも、元禄10年(1697)の造営は江戸幕府第5代将軍・徳川綱吉によるもので、大規模なものであった。
明治初年には、廃仏毀釈運動の影響により、富士山中の仏像類は大日堂に集められ、施錠されたという。

大日堂の姿

大日堂が描かれた資料は少ないが、中世・近世の絵画・絵図があり、かつての大日堂の様子や境内の建物配置などを確認できる。
現在の大日堂の建物については、明治・大正ころの古写真が数点残されている。これらの写真からは、大日堂が茅葺屋根だったこと、建物正面に向拝があったことなどが分かる。
大日堂の保存修理工事にあたり、これらの内容を検討し、建物復元の参考資料とした。

「絹本著色富士曼荼羅図」(部分、富士山本宮浅間大社所蔵、室町時代、中央の建物が大日堂) 「絹本著色富士曼荼羅図」(部分、富士山本宮浅間大社所蔵、室町時代、中央の建物が大日堂)

明治35年(1902)撮影の古写真(奥の建物が大日堂) 明治35年(1902)撮影の古写真(奥の建物が大日堂)

大正年間の古写真 大正年間の古写真

古写真(撮影年代不明) 古写真(撮影年代不明)

3.大日堂の保存修理工事

概要

現存する大日堂の建物は江戸時代末期の建造と考えられるが、幾度かの改修を経て創建当初とは異なる姿になっていた。そこで、大日堂をできるだけ当初の姿に戻し、その歴史的価値をさらに高めるために、保存修理工事を行うこととなった。

事業主体 富士宮市
発注先 設計・管理 NPO法人静岡県伝統建築技術協会  施工 川俣組
工事費 102,039,480円(内、国補助金46,777,500円・県補助金21,525,000円)
工事期間 平成25年12月から平成27年3月

保存修理工事工程表

解体

解体は基本的に手作業で行い、作業と並行して当時の工法や後世に改変した部分の痕跡を調査した。

解体前の準備作業(覆屋設置) 解体前の準備作業(覆屋設置)

屋根の解体 屋根の解体

屋根骨組の解体 屋根骨組の解体

解体完了後 解体完了後

組立

解体中の調査や発掘調査の結果を基に復元方針を決定し、図面を修正した。
解体した部材は、一部を取り替えたり傷んだ部分を修繕したりして出来るだけ再利用した。部材の準備を終えた後、当初の工法にならい、順次組み立てを行った。

組立前の準備作業(再利用する部材の修繕) 組立前の準備作業(再利用する部材の修繕)

向拝の取付 向拝の取付

屋根の組立 屋根の組立

内装工事 内装工事

復元と変更点

出来るだけ建造当初の形に復元することを目指し、主に次の点を復元した。

屋根 古写真・調査結果をもとに、正面入母屋造り・背面寄棟造りに改めた。また、屋根の形は、建築当初の茅葺に合わせ茅葺型ステンレス鋼板葺きとした。
向拝 調査をもとに失われていた向拝を復元した。礎石は発掘調査で発見されたものを再利用し、彫刻の意匠は大日堂内に保管されていた古材から復元した。
外壁の開口部 東面・西面外壁の開口部を元の大きさに戻し、仏壇背後から発見された北面外壁の開口部を復元した。

向拝(古写真) 向拝(古写真)

向拝(復元) 向拝(復元)

完成した大日堂

上記の工程を経て、大日堂の保存修理工事は平成27年3月に完了した。この保存修理工事により、大日堂の文化財的価値が高められるとともに、その価値が長く後世に伝わっていくことが期待できる。

保存修理工事実施前 保存修理工事実施前

保存修理工事完成後 保存修理工事完成後

お問い合わせ

教育委員会事務局 教育部 文化課 埋蔵文化財センター

〒419-0315 静岡県富士宮市長貫747番地の1

電話番号: 0544-65-5151

ファクス: 0544-65-2933

メール : maibun_center@city.fujinomiya.lg.jp

表示 : モバイル | パソコン

ページの先頭へ戻る