「山宮浅間神社遺跡発掘調査報告」展(終了しました)
2018年02月20日掲載
過去に開催した展示会を紹介します。
現在、富士宮市では、世界遺産に登録された各文化財の整備事業を進めています。山宮浅間神社では、整備事業の基礎資料とするため、平成24年度から発掘調査、文献調査等を実施しました。本展ではその成果を紹介します。
史跡富士山と山宮浅間神社
史跡富士山
富士山は日本を代表する名山であり、昭和27年(1952)に国の特別名勝に指定された。一方で富士山は、古より信仰の対象として崇められ、遠くから拝む遥拝や山中での修行など、その信仰は様々な形で展開してきた。現在でも富士山の周辺には、その信仰をとどめる多くの有形・無形の文化財がある。
平成23年(2011)2月、これらのうち特に学術上価値のあるものが国指定の史跡に指定された。更に平成25年6月には「富士山—信仰の対象の芸術の源泉」として世界文化遺産に登録された。
富士宮市内の史跡富士山一覧
- 山頂信仰遺跡
- 大宮・村山口登山道
- 富士山本宮浅間大社
- 山宮浅間神社
- 村山浅間神社・大日堂
- 人穴富士講遺跡
山宮浅間神社
山宮浅間神社は、富士山本宮浅間大社(以下浅間大社)の社伝によると、浅間大社がもとあった場所とされる。
境内には、本殿にあたる建物がなく、本殿のあるべき場所には石列で区画された遥拝所があり、周囲は溶岩礫を用いた石塁で囲まれている。これは富士山を遥拝するための施設と推定され、古代からの富士山信仰の形をとどめるものと考えられている。また、境内には籠屋と呼ばれる施設があり、かつては神事の際に浅間大社の神官らが参籠した。
浅間大社との関係を示すものとして、神の宿った鉾が浅間大社と山宮浅間神社との間を往復する「山宮御神幸」の神事が明治初年まで行われていた。
発掘調査
発掘調査は、遺跡の内容確認を目的として、平成24・25年度に実施した。
平成24年度は境内全域にトレンチ(発掘調査のための試掘坑)45ヶ所を設定し、調査を実施した。その結果、土塁状遺構など、境内に複数の遺構が点在することが判明した。
平成25年度には、遥拝所を囲む石塁の周辺にトレンチ4ヶ所、遥拝所南側にトレンチ2ヶ所を設定し、調査を実施した。遥拝所南西側では、玉垣内の石列と同時期と考えられる石列を新たに確認した。
検出遺構
遥拝所南側の斜面に設定したトレンチ(Tr45)では、溶岩を斜面に沿って積み上げた石段状の遺構を検出した。
また、籠屋の南東側に設定したTr28・32・35・36・38にかけて、土を盛り上げた土塁状の遺構を検出した。この土塁状遺構は基底部の幅約3m、上部の幅約1.5m、高さ約0.7mに及ぶことが判明した。
さらに、境内地南端部の参道東側に設定したTr39・41・42にかけて、東西の幅約1~2mにわたって地面が平らに造成され、一部が固められている様子を確認できた。この平坦面は道として使用されていた可能性が考えられる。
石列
遥拝所南西側のトレンチ(25-Tr5-1)からは、一部の面を加工した10~50㎝程度の溶岩を並べた石列(石列1・石列2)を新たに確認した。石列1は玉垣の南西隅で直角に曲がり、玉垣の下部へ続くことから、玉垣の構築以前に配置されたことが分かる。石列2は石列1に接続し、鉤の手状に配置されていた。これらの石列は玉垣内の石列と同質の溶岩を使用しており、ほぼ同時期に配置されたと考えられる。
出土遺物
発掘調査では、境内地全体から土師器、陶磁器、石製品、金属製品などが出土し、出土数の合計は破片資料で10,000点以上になる。
出土遺物のほとんどは土師器であり、坏・皿・柱状高台坏など豊富な器種が見られる。陶磁器類には瀬戸(愛知県)・美濃(岐阜県)産や常滑(愛知県)産、渥美(愛知県)産などの国産陶磁器の他に中国産の貿易陶磁器がある。
出土遺物の年代は12世紀中頃~15世紀を中心とし、遥拝所内(25-Tr5-1・5-2)や斜面(Tr45)で特に多く出土している。この頃に遥拝所で行われていた祭祀で使用された後、廃棄されたものと考えられる。
文献調査
浅間大社に伝わる記録には、江戸時代に浅間大社や、山宮などの末社で行われた祭礼が記されている。これらの資料をもとに江戸時代に山宮で行われていた祭礼について整理した。
山宮浅間神社には、明治時代以降の神社関係資料が保存されている。このうち、明治時代から昭和40年代までを中心とする資料53点の調査・整理を行った。資料には、境内造営に関する書類や、神社の会計に関する書類(会計簿、領収書)が含まれており、調査の結果、現在の境内にある玉垣、籠屋などの造営時期が判明した。
山宮の祭礼
山宮で行われた祭礼は、正月行事、春秋の初申祭・9月の大祭に伴う祭礼など本宮の祭礼に伴うものが中心だった。特徴的な祭礼としては、正月8~10日に大宮司らが山宮に参籠した後末社巡礼に出かけるものや、初申祭前日に御神体の鉾が山宮まで神幸し未明に還御する「山宮御神幸」があった。
明治時代になると、本宮の祭礼が整理され、明治9年(1876)には山宮は摂社から外れた。これにより、山宮御神幸などの多くの祭礼が廃止され、山宮の祭礼は縮小された。
昭和初期の境内整備事業
昭和初期、山宮浅間神社では境内整備工事が計画され、現在の境内の景観が作られた。古くから山宮浅間神社には、石列の並ぶ「遥拝所」と「籠屋」があるのみで、本殿・拝殿や鳥居・玉垣等はなかった。
昭和5年(1930)、山宮浅間神社は玉垣と鳥居の新築工事を計画した。秋頃には遥拝所に玉垣が設置され、翌年には境内南入口にコンクリート製鳥居が完成した。その後、昭和7年に老朽化していた旧建物が台風で倒壊したため、翌8年に現在の「籠屋」が建築された。
以降、地域の人々を中心に境内の維持管理が続けられてきた。
昭和初期に行われた整備
- 昭和5年4月 玉垣・鳥居新築工事を静岡県に申請。
- 昭和6年6月 玉垣新築工事開始(9月頃完成)
- 昭和6年11月 鳥居新築工事完了、引き渡し
- 昭和7年11月 台風により旧「籠屋」倒壊
- 昭和8年4月 「拝殿」(籠屋)上棟式(7月頃完成)
主な調査成果
Ⅰ 発掘調査
- 遥拝所南側で新たな石列を検出し、石列の全体像がほぼ判明しました。鍵の手状に配置された石列は、遥拝所の入口部分と推測されます。
- 石塁で囲まれた遥拝所内から、12世紀中頃~15世紀の土師器が多量に出土しました。過去の調査でも同様の成果があり、12世紀中頃から遥拝所内は祭礼を行う特別な空間として使用されていたと考えられます。
Ⅱ 文献調査
- 浅間大社に伝わる資料から、江戸時代には、浅間大社の祭礼と関わり、山宮においても様々な祭礼が行われていたことを確認しました。
- 明治時代以降の資料の検討により、玉垣・鳥居の新設、籠屋の建替えなど、現在につながる境内景観の形成が昭和初期に行われたことが判明しました。
平成27年度の予定
平成27年度は遥拝所南側の展望場整備・階段整備工事に伴う事前の発掘調査を実施します。
今後も、調査・整備事業へのご理解とご協力をよろしくお願い申し上げます。
お問い合わせ
教育委員会事務局 教育部 文化課 埋蔵文化財センター
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