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富士宮市について

北山用水

2023年11月06日掲載

北山用水について掲載しています


北山・山宮地区の水は、芝川から取水しており、農業用、防火用、生活用の水、また上水道の水源としても使用しています。
用水の水は、通常の河川ではなく北山・山宮地区皆様の必要に応じ水利調整され利用し、さらに下流域においても使用しています。

北山用水の歴史

天正10年(1582)、徳川家康は北山本門寺の願いを受け、北山用水の開削を井出志摩守に命じました。このことから本門寺用水ともいわれました。
その後、万野原の開墾が計画され、文化7年(1810)に横手沢に万野用水取水口を設け、各村々の分水量を定めました。分水量を定めたのちも、しばしば水不足のために水争いが起こりました。その中でも明治21年(1888)に起こりました水争いは激しいものであり、本流側と北山用水側の農民数千人を巻き込む紛争に発展し、県警数百人が出動するほどに至りました。翌年、白糸村・大宮町・岩松村の県議会議員の仲裁により、芝川流域村と北山用水筋で分水契約が成立しました。そして新たに芝川取水口に分水の基本となる川底石を設置しました。
それ以降芝川の洪水により、たびたび川底が流失したりし不均衡になったため、昭和2年(1926)契約を改訂し川底石を復旧、また昭和30年(1955)にも修復工事を行いました。
昭和42年(1967)以降、用水路はコンクリート化し、安定した水量が確保できるようになりました。

北山用水の施設

北山用水の起点は横手沢地区で芝川に取水門(大井口)を設けることにより始まっています。そこから猪窪川(埋樋、排水門)、芝山地区邯鄲沢(埋樋)、潤井川(埋樋、排水門)をサイフォン方式により通過し、上井出まで流下しています。
分水口は新田堀・上原用水堀・寿命寺堀など12口あり、さらに本妙寺裏(埋樋)の排水門付近で本門寺堀・山宮用水堀に分水して北山の小堀へと流下していきます。また山宮用水は堀久保・峰排水門を通過して、上蒲沢北部の分水口で蒲沢の小堀、溜之沢(掛樋)を流下し、万野用水へとつながっていきます。

富士宮市北山用水運営協力委員会

1 組織と定数

 北山1区4人
 北山2区4人
 北山3区4人
 北山4区1人
 山宮1区4人
 山宮2区2人
 山宮4区2人

2.委員会事業

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