副市長コラム(令和6年度)
2024年06月17日掲載
令和6年度の篠原副市長のコラムです。
郷土の偉人の思いを ‐望月軍四郎翁の立像を移転‐
6月6日、富士宮市民文化会館の東側入口に設置してありました望月軍四郎翁の立像を、富士宮商工会議所に移設しました。今年度から約2か年かけて富士宮市民文化会館の大規模改修が行われ、東側入口周辺をバリアフリー化するため、立像の移設ということになりました。
「財は集めるよりも 之をよく散ずるは更に難い」
望月軍四郎翁は、郷土の教育のために、その自らの財を役立てた方です。
この立像は、昭和60年に、「望月軍四郎翁顕彰会」によるもので、当時作成された顕彰の趣旨書には、「郷土の偉人である、私たちの大恩人であるといっても過言でない翁の顕彰こそ私たちの勤めであり、恩に報いる一つの道であると信じています」とあります。
望月軍四郎翁の功績を紹介します。
大正8年、城山小学校(現大宮小学校)の講堂を寄附。この講堂は収容人員2000人、当時東洋一の規模と言われていました。昭和12年、大宮商工学校(現富士宮北高校)創立、また浅間大社の回廊も寄進しています。
今回の望月軍四郎翁の立像移設に当たり、その適地について丁寧に検討を進めてきました。「郷土の偉人であり、富士宮市への功績は、渋沢栄一翁に重なるものがある」そんな言葉が、須藤秀忠富士宮市長、河原﨑信幸富士宮商工会議所会頭の間でも交わされるなどして、移設地決定となりました。
改めて書棚にある望月軍四郎伝を読んでみました。翁は、両親の愛情に育まれ、良き師のもと学問にも励み、15歳の時に、日本一の商人になろうと一念発起して風呂敷包みを一つもって東京へ向いました。一心不乱に働く傍ら、勉学にも励み、奉公先の商店にとってなくてはならない存在になりました。
望月軍四郎翁は、「今を大事に、今を頑張る、そしてお客様、人のため、社会のため、つねに誠心誠意」そんな姿勢を貫いた方だと思います。
この立像の望月軍四郎翁は、右手の手のひらを上に、そして人差し指を天に向け、何か強い意思のようなものも感じます。多くの市民の皆さん、特に、こどもたちが、郷土の偉人から、自分の力となるようなものを感じてほしいと思っています
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