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「盆行事」展

2014年08月12日掲載

富士川流域の盆行事など、市内の盆行事を紹介します。


「お盆」は、仏事「盂蘭盆会(うらぼんえ)」の略とされ、先祖の霊を迎える行事とされます。一方で、「盆と正月が一緒に来たよう」という言葉からは、盆が正月と並ぶ年中行事の中心的存在であり、ハレの日の代表であったことがうかがえます。お盆は、仏教思想と様々な民間信仰・民俗行事が融合したものであり、各地で多彩な行事が行われてきました。

1 盆行事とは

盆の始まり・盆の終わり

富士宮市内では、お盆は8月13日から15日(又は16日)までとされるが、本来は7月であり、月遅れで行われている。古くは1日に始まるとされ、この日に「盆道作り」(墓場や道の掃除)を行い祖霊を迎える準備をした。江戸時代の地誌「駿国雑誌」には、1日から迎え火を焚くとある。また、7日(七夕)も盆に関係する行事とされ、この日に盆道作りをする場所もあった。
13日夜に迎え火を焚いて祖霊(精霊)を迎えるが、芝川地域では墓地から手を引いて祖霊を連れて帰る家もあった。また、精霊が迷わないように道行を照らす明かりだとしてヒャクハッタイや投げ松明・振り松明が盆の間毎晩行われた。盆が終わると、送り火を焚いて祖霊を帰し、精霊棚と屋外に祀られた「無縁さん」をひとまとめにして川に流す。川のないところでは辻に置いて来る。これを精霊送り(送り盆)といい、富士川流域のカワカンジョウもこのひとつだと考えられる。

盆の火祭り

カワカンジョウに火をつけて流す(内房 尾崎)カワカンジョウに火をつけて流す(内房 尾崎)

盆には火を焚く行事(火祭り)が多い。迎え火を焚いて精霊を迎え、火を焚いて送る。盆灯籠を飾り、新盆家は白提灯を下げる。富士川流域では投げ松明やカワカンジョウなど独特の火祭りが行われる。盆の火祭りは、各家(イエ)で行うだけではなく、集落(ムラ)としても大規模に行う。
火は、神霊を招く目印やその依り代とされ、またケガレを焼き払うものとされる。投げ松明や新盆家の白提灯は、高い場所で火を灯すことで神霊(祖霊)を招く意味があると考えられる。また、カワカンジョウや投げ松明は、ムラに災いをもたらす存在とされた横死者(水難者)を送る(祓う)ためにムラとして行う特別な火祭りだと考えられる。

盆のにぎわい

各家では帰省客や訪問客を迎え、ムラでは盆踊りや川供養に人が集まるなど、盆には人々が集まることが多い。
かつては女の子が集まり屋外にかまどを作って料理をして食べる「盆がま」や、嫁いだ娘が「盆粉」(小麦粉)を手土産に帰省するので親がうどんを打ってごちそうする「盆ヨビ(イキボン)」が盛んに行われた。また、親類や世話になった人へ挨拶に行ったり、贈り物をしたりする「盆礼」も盛んに行われた。
この時期の贈答の習慣は、現在でも「お中元」として行われている。

2 イエの盆

盆棚

盆棚盆棚(粟倉)

棚は、お盆の間、位牌や供物などを飾り、先祖の霊を迎えるために用意される。「精霊棚」や「霊棚」ともいわれる。盆棚作りは13日に行われる。幕末期、大宮町の造酒屋主人が記した『袖日記』には、7月13日に「霊棚(魂棚)」を作り、花を供える様子が記されている。
市内では仏壇の前に設える。盆棚には精霊の乗り物として胡瓜の馬や茄子の牛を作って飾り、盆花や畑で採れた作物を供える。寺院でもらい受けた掛軸を飾る家もある。
盆棚は、4本の竹を脚としその上に割竹を並べたものを作る。また、2本の竹を柱にして横木(または紐)を渡したものを飾る家もある。
柱の途中に穴をあけて盆花(オミナヘシ)を生け、横木にとうもろこしや人参等畑で採れたものや稲穂、青柿、栗などを掛ける。
下には机等を置いて南瓜やさつま芋等を並べる。

送り火・迎え火

投げ松明燃える投げ松明(長貫・上長貫)

迎え盆(13日)と送り盆(15日又は16日)に迎え火・送り火を焚く習俗は全国的に行われ、オガラ(皮をはいだ麻の茎)やワラなど地域によって様々なものが用いられる。市内ではタイマツ(細い薪)を焚く。江戸時代の地誌「駿国雑誌」には、駿府の送り火の様子として「真木一束を積み火を放ちて焚く」とあり、古くから薪(まき)が用いられてきたと考えられる。
迎え火・送り火は、精霊が迷わないように道行を照らす明かりになる、帰る家の目印になるとされる。盆提灯やヒャクハッタイ、投げ松明、振り松明も同様の意味合いを持つものとされる。
かつて北山地区で行われていた振り松明は、「精霊が迷わないように」迎え盆から送り盆の間毎晩、火のついた麦カラの束を振り回して集落を回ったという。投げ松明も「精霊が迷わないように」毎晩行われていたというが、現在は送り盆の夜にのみ行われている。

新盆

新盆家の提灯を飾ったカワカンジョウ(内房 尾崎)新盆家の提灯を飾ったカワカンジョウ(内房 尾崎)

亡くなって初めての盆を「新盆」と言い(地域では異なるが、この地域では一年間)、祀る死者を「新仏」・「新精霊」などと言う。新盆には、盆提灯や普段より立派な盆棚など特別な祭具が用意される。これは、新仏はまだ「ご先祖様」(祖霊)になりきれていない存在であり、無縁仏のように荒々しい(「新」=「荒」)存在なので特に丁重にまつる必要があるためとされる。 カワカンジョウもまた新仏をまつるためのものだと考えられる。内房 尾崎のカワカンジョウは新盆家の盆提灯を飾って完成し、富士市天間では新仏の数だけカワカンジョウが作られた。カワカンジョウは、水難者(=無縁仏)とともに新仏を送る祭具だといえる。

3 ムラの盆

富士川流域の集落では、盆に「川供養」としてカワカンジョウや投げ松明などの特徴的な盆行事を行う。これは、富士川の水難者供養の意味があるとされる。
かつて富士川は多くの川舟が行き交い、人や物を運ぶ流通の大動脈であった。しかし水量が多く流れが速いうえに難所も数多くあったため、水難事故が多発した。難所のひとつであった釜口峡には、江戸時代、水難者供養のために水神山本立寺が建てられた。また、釜口峡周辺をはじめとする流域には、今も水難者の供養碑や墓が残されている。「駿国雑誌」には、水難者供養のための「川施餓鬼(川灌頂)」として、盆の間、沼久保村でカワカンジョウやヒャクハッタイが行われていたとある。流域の村々には、かつては水難者が流れ着くことも多く、村としてその供養を行ったものと考えられる。

投げ松明

投げ松明(富士市木島)投げ松明(富士市木島)

富士川流域では、柱の先に漏斗状の物を付け、火の点いた松明等を投げ入れて点火する「投げ松明」が行われる。県内では、大井川流域や中部の沿岸部で「アゲドウロウ」や「トーロン」として同様の行事が行われている。また、近畿や九州などでも類似の行事が見られる。
富士川流域の投げ松明は、水難者供養の川供養として行われる。この火は精霊の道先を照らす明かりとされ、かつては盆の間毎晩行われた。また、かつては子供たちが中心となって投げ松明の作成から実施までを行った場所も多い。「駿国雑誌」には沼久保村(現市内沼久保)の投げ松明の様子が記されており、江戸時代後期には投げ松明が行われていたことが分かる。

ヒャクハッタイ

ヒャクハッタイ(沼久保)ヒャクハッタイ(沼久保)

盆の迎え火や送り火として108個の火を燃やす習俗は日本各地で見られる。富士川流域では水難者供養の川供養として行われ、「ヒャクハッタイ」(タイは松明の意)と呼ばれる。現在は空き缶に入れた灯油や提灯などに火を灯す集落が多いが、山梨県南部町では雑木や身延山から貰い受けた卒塔婆を大きな山に積み上げて大規模な火を焚いている。
江戸時代の地誌「駿国雑誌」には、沼久保の「百八の供養」が記されている。これは、富士川の水難者供養のため、河原に108本の杭を打って白い提灯を掛け、その元で男性が歌い踊るものだという。
現在、沼久保では川供養(夏祭り)の会場に白い灯籠を吊るし火を灯している。

カワカンジョウ

流されるカワカンジョウ(富士市北松野 大北)流されるカワカンジョウ(富士市北松野 大北)

富士川流域では、竹と麦カラで作った作り物「カワカンジョウ」・「カワガンジー」(川灌頂の意か)に火をつけて川に流すことが行われている。これは精霊送りの精霊舟の一種と考えられる。精霊舟を川や海に流す習俗は各地に見られ、狩野川流域などでも類似の行事が行われている。
富士川流域では水難者供養の川供養として行われる。「駿国雑誌」には、水難者供養の「川灌頂」が記されており、江戸時代後期には行われていたことがわかる。カワカンジョウは、竹を丸十字型に組んで麦カラを巻き、上に松明を立てた形が多い。送り盆の夜、これに火をつけて川に流すのだが、かつては燃えるカワカンジョウに乗ったり、付いて泳いだりして下流まで送ったという。また、上流から幾つものカワカンジョウが燃えながらゆらゆらと流れて来たという。また、カワカンジョウとともにサンダワラを流す集落もあった。これはサンダワラ(俵のふた)に供物を乗せて流すもので、施餓鬼供養の意味がある。

お問い合わせ

教育委員会事務局 教育部 文化課 埋蔵文化財センター

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